一周忌
今日は母の命日で、一周忌の法要がありました。
1年前と同じ顔ぶれが集まり、新顔が1人。わたしの娘。どうしても考えてしまうのが、やっぱり孫娘を抱かせてあげたかったということと、娘が歳を重ねた年数だけ母が他界してから時が過ぎていくのだということ。
1年前、涙を堪えきれず泣いているわたしに、叔母が『2人の母親になるのだから強くなりなさい』と言ったけれど、この1年で自分は強くなれたのだろうか。
娘が生まれ、息子が入園し、バタバタと過ぎていく毎日を理由に、向き合うことから逃げていないだろうか。
現に、未だに母がいないことを信じることができず、実家に帰って母が見当たらないことや、お墓にお骨があることがとても不思議に感じる。そして看病に通った毎日や最期の日のことを昨日の事のように思い出しては現実に引き戻されたように泣いてしまう。
個室に移ってからは、子供も入れることを聞いて、息子を連れて毎日面会に行った。爪を切り、足の先から腰の上までむくみとりのマッサージをした。ごはんの時間を付き合って、トイレの介助をした。面会時間のギリギリにはいつもギュッと抱き合って、また明日ねと別れた。
あんたがいてよかった。
娘を産んでよかった。
千尋がいると安心する。
本当はあんたに夜も泊まって側にいてほしい…
泊まってあげたかったけど、妊婦だったし、息子もいたし、悔しいけどなかなか難しかった。だから、祖父の面倒は見るから、できるだけ泊まってきてほしいと父に頼んだ。
最期となった日の2日前、その頃には抱き合って『大好きだよ』と伝え合うのが日課だった。照れとかそんなのはとうになくなり、伝えたい事はきちんと伝えなければと思っていた。けど、その日は母が両手を広げられず、抱き合うことをせずに、母はわたしの頭を片手でトントンと叩いた。『またね。また明日ね。』
それが母と交わした最後の会話。
次の日に面会に行くと、母は寝ていた。
痛みが和らぐ薬を入れたらしい。
だから、よく眠れるらしい。
ウトウトしているだけだから、強く声をかけたり譲ったりすると気づくはずという説明を医師から受けていたけれど、母は目を開けなかった。だけど痛みがないなら…
初めて会話をせず帰ることになった。
そして、今日はどうしても残ってほしいと父に言った。可能ならば自分が残るから息子を連れて帰ってほしい、と。
結局病院には父が残り、日が変わるか変わらないかくらいの時間に弟と息子と病院に呼び出されて戻った。
当直の医師から説明を受けたのは別室だったけれど、この間に何かあったらどうしてくれるんだ、早く母の側に行かせてくれと言いたくて堪らなかった。
母は昼間は静かに寝ていたはずなのに、なんだか頑張って呼吸をしているように感じた。苦しかったら嫌だ。でもできるなら持ち直してほしい。なんだかもう、自分の感情はぐちゃぐちゃだった。どうしていいかわからず、いつもどおり、足のマッサージをし、手を握り、声をかけた。
息を引き取ったのは、夜が明ける少し前だった。急に目を開いて、しかも焦点があっているような感じで辺りを見回した。目が合った。慌てて近くに駆け寄って、顔を覗きこんだ時にはもう見えていない感じだったけど、あの時何かを言おうとしていたのだろうか。
何もかも昨日の事のように思い出す。
思い出しては夢じゃないかと思う。
あの日は大雨で、もう起きることのない母に付き添って斎場の車に乗った父の代わりに、車を運転して実家に帰ったのだけれど、前は見えないし停止線も信号も見えないし、頭は整理できないし、もうわけわかんなくて。本当わけわかんなくて。
たぶん、今もまだわけわかんなくて。
だけど、いろいろな方に支えられて、わたしは生きている。母がいない今を生きている。
母と一緒に闘病していた病室のお姉さんたちは、いつの間にか母が『娘が増えたわ!』なんて言っていて、めでたくわたしに姉たちができた。
今お世話になっている会社の社長には、看病している数年の間、何度も何度もメールをさせてもらった。頼りになる母のような姉のような存在で、モヤモヤしているわたしの気持ちをストンと着地させてくれた。彼女がいなかったら、わたしはもっとパニックになっていたかもしれない。
実家に長いこと帰ることを許容してくれた主人や、付き合ってくれた息子にももちろん感謝しているし、申し訳ないとも思っている…
からこそ、今度は自分がしっかりしなくては。
妻として母として、いちスタッフとして、きちんとしなくては。
なんて思ってはいるけれど、そんなに簡単に乗り越えられない…ような気がしている。弱いだけだと言われるかもしれないけど、あんただけじゃないよと言われるかもしれないけど、今はまだ、母を思って時々メソメソする自分も許したい。もちろん、やるべき事はやるし誰にも迷惑かけないので。
と、だらだら書いてしまったのですが、今日は母のための日ということで、がっつり思い出してがっつり悲しんだ、記録。
また明日から、頑張ろう。